ミ)
がんもに入れるお野菜もわざわざ分けて保管し、泥を外で洗ってから中に入れて刻むとお聞きしました。包丁もきちんとした保管庫に入れてあり、本当に衛生的な工場ですね。お豆腐の作り方については先週、成田工場の方でお聞きしてきましたので、今日は社長さんにこのお豆腐工場を作られた経緯などについてお聞きしたいと思ってやってきました。このお仕事を始められたきっかけは何だったのでしょうか?
遠)
もともと私の人生が助っ人人生というか、何か人様のお役に立てることがあればと思ってやってきたことが多くて、一言では中々語れないのですが、最初はもう40歳になるうちの子供たちが明星学園という学校に入っていて、理科の先生が1ヶ月は味の変わらない豆腐を作っていたことがきっかけなんですよ。もともと画一的な教育ではなく、自由で自然を大事にする学校でしたからね、授業もユニークでとても面白い学校でした。
ミ)
遠藤さんのお子さんの学生時代と言いますと、70年代頃になるのでしょうか?
遠)
そうですね。当時の高等部におもしろい先生がいらしてね、大豆は生きているから薬を使わないで作ろうと、その時も消泡剤を使わずに本物の豆腐を作っていたんですよ。それがおいしいと評判になり校内でも販売していたので、子供に買って来させて食べたらやっぱりおいしいんですよ。そのうち明星食物研究所というものを作って、学校関係者で本格的に豆腐の販売を始めたんです。おいしくて安心して食べられる豆腐だということで自然食品店なんかに随分、卸していたのですが、そのうち経営危機になってしまって、なんとかならないだろうかということから、私が後を引き継いだというか・・・。
ミ)
その頃の遠藤さんは食品関係のお仕事をされてたのですか?
遠)
いえ、私は商社に勤めていたのですが、その後、アーモンドタンパク研究会というのをやっていたので、納豆や豆腐業界のことは少し知っていたのです。それでせっかくおいしい豆腐なんだから、何とかそれを販売していきたいと思って77年に丸和食品を創業したのです。
ミ)
経営が大変で手が回らなくなった工場の後を引き継がれたのですから、最初は大変だったことと思うのですが・・・。
遠)
もちろん最初は大変でしたよ。油揚げを作っても消泡剤が入っていないので、ふわっと揚がらないんですよ。けっこう試行錯誤して、やっとうまく揚がる方法を開発することができました。当時の私は工場では豆腐を作り、トラックで配達をし、営業にも回って、本当によく働きました。私は頼まれると一生懸命になるんですね。やるからには一生懸命というのが私のやり方でもありました。
ミ)
その当時から国産大豆を使うことやにがりにこだわっていること、消泡剤を使わないことなどお豆腐を生産していく上での姿勢のようなものはどこから来たものなのでしょうか?
遠)
最初は明星学園の当時の理科の先生である河原先生の姿勢に共感したということが一番の要因です。でも会社をやりながら食べ物のことは勉強していきましたからね、ポストハーベストの問題や遺伝子組み換え食品の問題など、輸入食品は安全面でも不安があると思っています。農薬や消泡剤の使用についても消費者の立場を考えたら、絶対に使わないほうがいいのに、企業の利便性や合理性というものを追及してしまうから食べ物が本来のものでなくなってしまうのではないでしょうか。
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