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ミレー物語(後編)

第3章 ミレーのあゆみ
ミレー物語(後編)
2002年~2010年  イーコマース事業に参入、礎を築く

楽天市場に出店をしたものの、WEBシステムやデザイン、写真撮影、メルマガ、注文の処理等々・・・。今までに経験したことのない難しい仕事に???

出店したのもつかの間、途方に暮れること数え切れず・・・。それでも、なんとか少しずつイーコマースへの理解を深めていき、だんだんと軌道にのせていったのだそうです。

2年後の2004年には、全国イーコマース協議会が主催するベストECショップ大賞において、大賞を受賞。4年後の2006年には、自社ドメインサイトを開設。買い物かごシステムの開発から着手したWEBサイトは、当時ちょっと話題になり、WEB年鑑2007(日経BP社)への掲載も実現。また、経済産業省が認定するIT経営百選でも優秀賞を頂くことができました。

有限会社から株式会社への組織変更もその時に行い、イーコマースでの礎を着実に築いていきました。
山あり谷あり、大変ではありましたが、その時には、売上・利益ともに安定して稼ぎ出していけるようになっていたのでした。

社長早川の頭の中には、次の展開として、夢の“実店舗事業”の構想を考えられるまでになり、実現に向けて着々と事業計画は進行していったのでした。
がっ、しかし・・・。

2010年~2011年  夢の“実店舗事業”に向けて

有機野菜・無農薬野菜の流通事業を“通販事業(イーコマース事業)”と“店舗事業”の2本の柱で展開することを決め、店舗事業の立ち上げにまい進。

出店1年前より、出店予定地域に特化した通販事業をテストマーケティングとして開始。8,000世帯あるうちの300世帯が定期購入するという好結果をもと、成功を予感!?

テスト販売期間中には、出店地域の商店会会長より、朝市開催の打診を受け、立ち上げと運営に奔走。より地域に密着のできる関係を構築。

通販事業も直前の決算において、売上・利益ともに過去最高を記録。店舗出店のための資金調達、銀行融資も決定。また、千葉県産業振興センターの助成金、農林水産省の6次産業化事業の認定も受け、準備も万端。

店舗コンセプトも“ヨーロッパの朝市風”と決め、設計・施工会社と内装デザイン、オープン時期を協議。店舗オープン日を2011年3月26日土曜日(大安)と決める(実際は、工事が遅れ、2011年4月5日火曜日(大安)にオープン)。

夢の“実店舗事業”は、ここまで計画通り、滞りなく順調に進んでいきました。

農産物直売所の外観です。

農産物直売所の店舗の様子です。
レジにいるのは社長です。
2011年~2014年  東日本大震災と原子力事故

2011年3月11日(金)、日本中を震撼させた東日本大震災が起こりました。

ミレーのある千葉県香取郡多古町もかつてない激しい揺れに襲われ、千葉県の沿岸部には、津波も到達し大きな被害をもたらしました。

会社の物的被害は、最小に抑えられはしましたが、スタッフの中には、自宅が半壊したもの、身内が亡くなられたものもおりました。

一週間後の18日(金)には、原子力事故による影響で、多古町のほうれん草からも基準値を超える放射性物質(ヨウ素)が検出されました。

この未曾有の出来事に戸惑いを感じながらも、まずはこの事実を一刻も早くお客さまにお伝えすることが先決と、社長早川の指示のもと、情報の開示を徹底して行ってきました。社内では、風評被害と業績悪化を心配するあまり、賛否両論いろいろな議論がなされたといいます。

早川は、自社にとって不都合だと思えることでも、勇気をもって正直に公表していくのが、本当の「安心」、「安全」ではないか?と考えて、翌日19日(土)には、一部の社員も出社して、その旨を記した約5,000通のはがきをお客様に向け発送しました。

それが原因で、お客さまがご利用を控えることがあったとしても、致し方ないこと。「安心」、「安全」に一定の自信を持てるその時が来るまでは、じっと我慢。まずは、お客様の「安心」、「安全」が最優先という対応を決断したといいます。

しかし、そのような姿勢を貫いてみたものの厳しい現実が待っておりました。売上は、ごく短期間で1/3にまで減少。1日で400人のお客さまが定期購入利用の中止をした日もありました。

さらに、その結果に悲観した社員の相次ぐ退職。最終的には、社員の3/4が入れ替わるという事態にもなりました。
不幸は、まだまだ続きます。通販事業と並行して事業の柱に据えるべく、立ち上げに奔走していた店舗事業も、オープン日直前にそのような事故が起こり、開店初日から営業不振、すぐ閉店に追い込まれることとなりました。

これまで、幾多の困難を乗り越えてきた社長の早川ではありましたが、二重三重と続くひどい仕打ちに、この時ばかりは、さすがに心が折れそうになり、悩み苦しんだといいます。

それでも、前を向いて一歩ずつ歩み、その動きを止めるということはありませんでした。なぜならば、震災前より着手していたシステム開発プロジェクトにかすかな希望を見出すことができたからです。この開発を起死回生につなげる最後の砦として考えた早川は、爪に火を灯すような状況を続けながらも、水面下でシステムの設計に没頭していったそうです。

こうして心機一転、社運をかけたWEBシステム開発が、スタートすることになります。

あゆみを進めるための試練だったのだと、
今は考えています。

お客さまにとって使いやすいネット通販の仕組みづくり
を考えます。
2014年~  社運をかけたリニューアル

社運をかけたWEBシステムの開発ではありましたが、困難に次ぐ困難の連続となりました。何せ、社員の採用から行わなくてはならなかったからです。

社員の採用がひと段落しても、そのあとも次から次へと困難は続き、ある時はシステムを依頼していた会社が、ある日突然、行方をくらまし、連絡が取れなくなるというドタバタもありました。

そんな困難を幾度となく繰り返しながらも、開発は進められていきました。

今では、プログラマーだけを外部に委託。社長の早川とシステム担当社員とで進める独自の自社開発体制が出来上がりました。このような開発体制になってからは、現場から上がってくる細かなことにも対応ができるようになったといい、開発の進捗も格段に良くなっていったとか。

紆余曲折を経て、途中ドタバタもありましたが、東日本大震災から丸3年が経過した2014年6月1日、念願のシステムを搭載したWEBサイトをリリース。皆様にお披露目できるようになりました。

お客さまに、もう一度振り返ってもらえるようにと、社運をかけたこれまでの集大成ともいえるものです。長く深い谷を彷徨っておりましたが、ようやく新たなスタートラインに立てたような気がするとも。

気が付くと、早川が創業してから20年。新たなスタートを迎える節目にぴったりの記念すべきリニューアルとなりました。

これまでに、支払った犠牲は数知れず。しかし、起きた事実は全て、夢を実現させるための試練としてとらえ、前向きに取り組んでいったのだそうです。

早川が一人ではじめたこの事業も、今では小さいながらもちょっとした組織に。創業の志と理念は、全てのスタッフに受け継がれています。

吉とでるか凶とでるかは、これから次第ですが、お客さまのご満足と幸福のために、これからも私たちは、姿勢を正して歩み続けてまいります。

お客さまにとって使いやすいネット通販の仕組みづくりを考えます。