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ミレー物語(前編)

第3章 ミレーのあゆみ
ミレー物語(前編)
社長の早川が、創業したてのころから現在に至るまでの“山あり谷あり”を簡単な物語風にまとめてみました。
よかった時よりも、苦しかった時のほうが多い、これまでの半生ではありますが、長年にわたりご愛顧くださるお客さまに支えられ、今日まで何とか耐え忍ぶことができました。
ミレー物語は、失敗ばかりのドタバタとお客さまに支え続けられた感謝の歴史でございます。
~1994年  起業をすることを夢見て

当時、まだ大学生だった社長の早川は、会社を立ち上げることを夢見て、日々アルバイトに精を出していたそうです。報酬のよい“ガテン系”が多かったとか。

起業時には、160万円を学生時代に貯めていたというのですから、なかなかやりますね。

体力には自信がありました!
1994年  有機野菜の流通事業で起業

事業のたねを探している活動中に、有機野菜の農家さんとの出会いが。

有機栽培をするその農家さんの野菜の美味しさに感動!また、お客さまを思うその意識の高さや考え方に感銘を受けたんだとか。有機野菜の流通事業で起業することを決意。

はじめは、個人経営からのスタートでした。

農家さんとの出会いが青年の人生を変えました。
1995年  ビジネスプラン「有機農産物の流通ビジネス」で賞を

金なし、経験なし、つてなし・・・と、ないない尽くしの中、できることといえば事業計画書を作ること。無我夢中で作成したビジネスプランは、ニュービジネス協議会(樋口廣太郎会長)の主催するコンテストにて、なんと学生部門の奨励賞を頂くことに。余談ではありますが、その時の審査員は、あのTSUTAYAの増田社長。本人曰くとても緊張をしたそうです。

事業活動駆け出し中の不安に苛まれる中、とても勇気づけられたとのこと。

その時に作成した事業計画は、今日に至るまで変わることなく、現在も事業に受け継がれています。

受賞したことで、強い決意を抱きました。

この表彰状は今も社長室に掲示しているので、
常に初心を忘れません。
1995年~1999年  最初は、卸売業からでした

この仕事をはじめるには、まず野菜を運ぶトラックをと思い、銀行からの融資にチャレンジ!事業計画を熱く語るも、「売上と利益を上げてからまた来て下さい」とそっけなく玉砕。

学生ながらも、ささやかな実績をつくり再挑戦。半年後にしてようやく300万円を借り、念願のトラックを購入。
免許を取って初めてのマイカーは、“三菱キャンター2tロング冷凍冷蔵車(中古)”となりました(笑)。

その後、多古町で野菜を積み、東京都内各地のお店にお届けをする卸売業というスタイルで、有機野菜・無農薬野菜の流通をスタートさせていくことになります。

しかし、「昼夜逆転の生活」や「納品先が点在する非効率な配送ルート」等々・・・、自身で配達をすればするほど、納品先を開拓するための営業に時間が割けなくなるという悪循環に陥り、早くも頭打ちに。

トラックの運転手なみの距離と時間を走るも、稼ぎはまるで下積み中のお笑い芸人さんのよう、だったとのこと。
この事業の成否は、物流で決まるとの思いから、卸売業の撤退を決意。

一人で仕入れ、箱詰め、お届けをするという業務をし、倉庫で寝泊まりをする日々でした。
1999年~2001年  小売業(通信販売)に衣替え

物流は、自身では行わず、クロネコさん(ヤマト運輸)に依頼。販売活動に専念するため、小売業(通信販売)に衣替え。今のスタイルにだんだんと近づくようになります。

卸売業は、完全撤退としたので、売上は“0”からの再スタート。トラックのローンも気になります。

自分で作り、印刷したチラシは、撒けども撒けども一向に成果に結びつかず・・・。通信販売で反響を上げることの厳しさ、難しさを痛感。

あまりの成果の不甲斐なさに、個人宅への訪問営業を断行。お客さま直接の意見を伺うことを始める。夕方5時~7時の間、実家近くの大規模マンション群を1日1棟ずつ回るということを自身に課し、アンケートへの協力を求めたのだそうです。

本人曰く、恥ずかしくて一番やりたくはなかったことだそうですが、それがなんと功を奏するきっかけに。
アンケートにお答え下さりましたお客さまへのお礼として用意した、有機野菜のサンプル(ちょっとどっさりめ)が評判となり、定期購入への申し込みにつながっていったのだそうです。

緩やかではありますが、そこからだんだんと成果を上げていくことになっていきます。

その後は、大手通信販売会社が発送する商品の中にチラシを入れさせてもらったり、新聞紙面(朝日、読売、毎日、産経、東京など・・・)に広告を打ったりもして、より通信販売会社らしい売上が立つようにもなり、少ないながら利益を計上できるようにもなっていきました。

個人経営だった会社も、いつの間にか、合資会社、有限会社へと法人化もされていきました。

けれども、一人で行う事業としては、もう限界に差し掛かりつつあり、事業の体制を見直さなければならなくなっていました。

お試しセットを作り、団地を一軒ずつ訪ねて回りまし
た。

当時の新聞広告。
2001年~2002年  一人経営からの脱却

7年間の下積み時代を経て、ようやく通信販売で活路を見出すも、いい時代はそう長くは続かず、成長に陰りが見え始めます。

その時の様子を社長の早川に伺うと、一人で事業のほとんどを行うことにより、低コスト経営を徹底。その節約分で多額の広告費を捻出して、新規顧客の獲得につなげてきたのだとか。

事業を“攻め”と“守り”この2つで考えると、「攻めることしかできていなかった」と反省ぎみに。

ようやく見つけた解決への糸口は、この“攻めること”によりもたらされたものでありますが、もっと大切なことを気付かせてくれるきっかけにもなりました。

そこから、攻め一辺倒であった経営を改め、お客さまのご満足を意識する経営に転換を図っていったそうです。
その時から、一人での経営は終了。はじめて社員の雇用を行い、お客さま満足のための組織体制づくりが始まりました。

けれども、今まで広告費として充てていた資金は、社員の人件費や事務所の賃料に充当すると、からっぽに。通信販売の生命線である広告費が全く捻出できなくなってしまうという事態に陥りました。

ちょうどその時、月額5万円(その当時)で全国に宣伝ができるインターネット通販“楽天市場”の情報を聞きつけた早川は、藁をもつかむ思いで迷わず出店の申し込みをしたんだそうです。

こうして、現在のスタイルと同じイーコマース事業に参入していくこととなりました。

創業当時の倉庫は「トイレなし」、「電気なし」、
「水道なし」で、月1万円でした。
今のミレーはこの時代があったからこそです。

ネット通販黎明期に参入。手探りでのネット通販事業
に必死でした。